2018年12月 6日 (木)

12月という1年間の締めくくりの到来の早さを年おうごとに感じている。

そして12月という月は三つ年上の仲の良かった姉が事故で逝ってしまった私にとって一番悲しい月でもある。もうあれから30年が経過した。

こともあろうにその日は九州でもひょうが降る寒さであったらしい。

友人が遠くにいた私に「昭ちゃんが唐津におったらこやんかことにはならんかったとに、、、」といった言葉が今も耳元に残っている。

「昭ちゃん、生きていける?」といった友人もいた。

いつも一緒にいた仲の良さを知っているので思わず出た言葉であろう。。。。。。

4人の子供を抱えて離婚した姉は、その日はお酒を飲んで運転していたための事故であった。

傍にいたらいろんなこと聞いてあげれたのに、、、、と悔やみきれないくらい悔やんだ日を思う。

苦しみや悲しみ、よろこびも笑いも幼い時から共有し、こんなに価値観の一致した人はこの年に至るまで誰一人現れないまま今日を迎えた。

兄の会社の社員さんがけがをして入院した時に「昭子、お見舞いに行こう」と言ってバケツと洗面器を持っていて何をするのかと思うと姉はベッドに寝せたまま、まだ入浴できない彼女の長い髪をバケツ一杯お湯を組んできて洗いはじめた。まだ姉が19歳くらいの時である。

当時は病院に洗髪の設備などなかったので涙を流しながら喜ばれたのを思い出す。

我が家で一番美人で華奢だったにもかかわらず一本筋の通った琴線のような正義感、類のない優しさをもっていて、亡くなった後、主人が「観音様のような人だった。」といったのを覚えている。

私のろ過機のような人で姉にどんな苦しみをはいてもきれいに浄化して笑わせてくれる人だった。

姉の没後、三年間は笑えなかった私がこうして記すことができるようになったのも時間の経過だけに救われて、、、笑える今があるからであろう。

そんな12月、、、駆け足で奔走している自分にそろそろため息がでてきて天真爛漫に姉と笑った日々が懐かしい。。。。。戻りたい。。。。

年をとるということはある意味では前ばかり見ずに、振り返りながら、後戻りすることもありかな、、、、、と亡き姉をしのびながら思う12月である。

2018年11月14日 (水)

こだまでしょうか

先月、つぶやきに書いた詩人金子みすゞの詩が、今回の保育士の国家試験で出たようで、受験された職員の方から報告がありました。

又運動会の時に、金子みすゞと同じ郷里の保護者の方が、「仙崎の出身なんですよ」と声をかけて頂き金子みすゞ繋がりができて、とてもうれしい思いでした。

国家試験ではこれも有名な詩、「こだまでしょうか」が出たようです。

こだまでしょうか           金子みすゞ

「あすぼう」って いうと

「あすぼう」って いう。

「ばか」って いうと

「ばか」って いう。

「もう あすばない」って いうと

「あすばない」って いう。

そうして、あとで

さみしくなって、

「ごめんね」って いうと

「ごめんね」って いう。

こだまでしょうか。

いいえ、だれでも。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

バタバタと多忙な毎日、金子みすゞの詩を読むと、ふっとこの日常が吹き飛ぶ想いでホッと腰を下ろす自分がいます。故郷で遊んでいる小さい頃の自分や、情景が浮かんできて優しい気持ちになれる瞬間があります。ふるさとのふところに入ったような気持ちです。

末尾の「こだまでしょうか」 「いいえ、だれでも」にこの詩のすべてがこめられているように思います。今月から毎月、金子みすゞの詩を園児に読んであげようと思います。

これからの子供たちにパソコンやゲームより大事なものがあることを教えたいです。

2018年10月10日 (水)

金子みみすゞ

この夏の山口県への旅にはたくさんの思い出が残りました。

炎天下、長門下の港町仙崎に童謡詩人、金子みすゞの記念館を探しに行きました。

彼女の名前は知っていましたが、展示されている数々の詩を読みながら、人間の感性の原点を見たようで立ちすくみました。

彼女の人生ははかなくも26歳で自ら幕を閉じてしまいますが、その短い間に512編もの詩を書いています。それも詩人として机に向かってではなく手帳への走り書きだったと思います。

きっと彼女の中から湧き出るものが無限にあり手帳にあふれ出たのでしょう。。。。

子供の気持ちのまま、、、、飾らずに、、、、優しく美しい、、、、。

     キラキラ輝く優しい言葉に見せられた夏でした。

”わたしと ことりと すずと

                     金子 みすゞ

わたしが りょうてを ひろげても

おそらはちっとも とべないが

とべることりは わたしのように じべたをはやく はしれない。

わたしが からだを ゆすっても

きれいなおとはでないけど

あの なる すずは わたしのように たくさんなうたは しらないよ。

すずと ことりと それから わたし、

みんなちがって みんな いい。”

2018年9月13日 (木)

吉田松陰

この夏、以前から行きたかった萩の吉田松陰で有名な松下村塾(しょうかそんじゅく)に行ってきました。

松下村塾は神社の境内の隅にあり、意外と小さな部屋でした。でもこの小さな部屋から幕末を揺るがす大きな車輪がスタートしたのだと思うと感無量でした。

29歳という若さで処刑された吉田松陰ですが、短い人生に託した情熱、思い、成し遂げた行動力は現代にはもう、なきに等しい闘志かな、、、、、、とも思いました。

処刑前の牢獄で最後に詠んだ言葉が石碑に刻まれ松下村塾の前にあり、思わずたたずんでしまいました。

”親思う心にまさる親心

きょうのおとずれ何ときくらん。”

親を思う心よりも強い親からの愛の心、、、今日の処刑のことをどんな気持ちで聞くのだろう、、、、と解釈しました。

確かに親を思う気持ちも親として子を思う気持ちも両方を経験している私は両者は計り知れないものと判断しますが29歳の若さで逝った親思いの松陰の牢獄での最後の絶叫が聞こえてくるように感じて思わず石碑を撫でたくなってしまいました。

また、松陰の言葉に

”君子は何事に臨んでも

それが道理にあっているか否かを考えてその上で行動する。

小人は何事に臨んでも

それが利益につながるか否かを考えて行動する。”

とあります。

福祉に携わる人々の中でも、やはり給与、休憩、休暇、福利厚生、自分の目先の利益ばかりが主となる方々が増えて志はどこにあるんだろうとがっかりしていた毎日。。。

福祉の利益はやりがいという大きな人生の利益であることを知ってる方と出会いたい。。。。。。。。。!

暑い夏、松陰の言葉の響く一日でした。

2018年8月 8日 (水)

ヘルパー会議

月に一度夕方からヘルパー会議をしています。

皆さん一人一人が一生懸命に利用者さんのことを考えてくださっていて、とてもありがたさを感じるホットなひとときです。前回皆さんにこの仕事への思いを聞きました。「笑顔、とにかく笑顔です。僕も利用者さんも笑顔で過ごすことを一番に考えてます」という言葉が心に残りました。

ヘルパーさんは1対1の仕事なのでなかなか瞬時に相談できる環境がなくガイド中は本当に大変だと思いますが、こうして笑顔を心がけて下さる気持ちに感謝しました。

皆さんが利用者さんのことを考え準備をして楽しみを共有できるように配慮されているのをひしひしと感じます。

ヘルパーさんが足りなくてお断りする時もありますが、今は自慢のヘルパーさんばかりで小さくても事故のない安全なそして信頼しあえる仲間作りをこのまま存続していきたいと思っています。

ガイドヘルプにおけるいい情報があれば新聞を切り抜いて来て下さるヘルパーさんもいらっしゃれば一人一人の思い出をしっかり綴じてくださってるヘルパーさんもいらっしゃいます。

この仕事の根本にある利用者さんへの愛情が感じられてとても嬉しいです。

KOGUMAの移動支援、介護は小さくても安心できるそして信頼関係の継続できる利用者さん、または御家族とだけのお付き合いに絞ってヘルパーさんも利用者さんも「楽しかった」と言える一日を目指していこうと思います。現在ヘルパーさん不足の為、9月29日30日の二日間で資格の取れるガイドヘルパー講座を開催します。福祉の仕事を真面目に考える方で御受講希望の方いらっしゃったらぜひぜひご紹介ください。お待ちしています。

2018年7月11日 (水)

感性

「1.jpg」をダウンロード

こぐま作業所明石の利用者さんの作品です。

喫茶エールに掲げています。

エールはジェノバラインの目の前です。

是非一杯のコーヒーと素敵な絵を見に行って下さい。

「2.jpg」をダウンロード

感性がほとばしる作品だと思います。

描くこと!ぬること!心を込めること!

見た瞬間に命の洗濯ができました。

2018年6月11日 (月)

虐待

悲しいばかりの虐待のニュース

愛くるしい5才の子供の文章に涙がでました。

こんな文章を書かせる大人の心はどういう風に育ってきてこんなに鬼のようなことができるんだろう、、、、、と不可解です。

弱者である子供に対して大人というだけで、しかも保護者の立場でどんな権利があると思っているのだろう、、、、、、

ため息と怒りばかりです。

いろんな通報も行政も親権者という特権には勝てないのだろうか、、、、、?

二度も児童相談所であずかりながらどうしてそのまま養護施設へ措置できなかったんだろう、、、、

非情な親よりももっともっと愛情を注いでくれるところはたくさんあるのに。。

あざを見ただけで二度あることは三度あると思えなかったんだろうか、、、、、、、、

怒りが反芻するばかりです。

行政だけには任せられないことが日本には一杯ありすぎる、、、、、、、、

でも本心で立ち向かおうとする人を阻むのも行政であったり、、、、、、、、する。

本気、本腰がなかなか見えない行政の流れ。

私たちは子供のSOSのサインにもっともっと迅速に動き子供達の美しさを育てたい。

花、きれいです

美しいものは、人の心を美しくする

でも、子どもたちの笑顔

もっときれいです

明日が見えます

2018年5月 9日 (水)

連休はテレビを見てゆっくり時間に恵まれいろんな感動がありました。

学生時代卓球をしていた私は世界選手権における日本女子の卓球にはくぎ付けになりました。

準決勝ではもう負けたか、、、と思った点数を逆転するほどの接戦に1本1本を大切に立ち向かう石川選手の真剣なまなざし、勝った時の涙、どれをとっても感動でした。

又突然、韓国と北朝鮮が合同チームをくみ、えっ?と驚いてるさなか、たじろぎもせず「面白みがあります」と笑顔で平然と答える日本選手の度胸にはあの若さで、、、と拍手をおくりました。

イチロー選手の記者会見での言葉

「僕には小さい時から笑われてきた歴史があった。でも笑われてきたことの全部をいつの間にか実現した。」

「僕にとって僕の勝ち得た数字よりもチームの皆が喜んでくれることが喜びだった」

笑われてきたことを踏み台として生きてきたイチローの謙虚な言葉には光るものを感じました。

又「お前の親父になったるで」という番組は少年院や刑務所をでた子を引き取り面倒をみている、ある建設会社の社長さんと刑務所を出た青年とのドキュメントでした。

かって教護院の教母をしてきた私は行政にはない本物の志を見た気がしました。

まだこんな人がいるんだ。。。。。と。

かって私がめぐりあった、非行少年たちを思い出しながら愛情の枯渇状態が彼らを罪においやってることを原点に本気本腰で愛情を注いでる人がいる事に感動!   この連休はここちよい感動の毎日でした。

私たちの仕事もしかり、特に福祉、保育においては

「志」と「謙虚さ」をベースにKOGUMAが「自己実現」の場所であるよう祈ります。

2018年4月12日 (木)

Sちゃんの言葉

10年以上前、福祉作業所を立ち上げた時の利用者さんからハガキがきました。

彼女はもうこぐまをやめて随分なりますが、時々自分の思いをこうして書いて送ってきてくださいます。

今は遠いのでこぐまの移動支援も使っていません。

文面の一部にこんな言葉がありました。

こんにちは

私はヘルパーさんがあれこれと口出ししてくるのがちょっと嫌です。

自分でやれるからやらせてほしいです。

ハッとしました。

こぐまの利用者さんにもこんな気持ちの方がいらっしゃるかも、、、、、、、。

それよりこの子の移動支援の事業所の方にこの気持ちをわかってもらわないと、、、、。と焦りました。

幼児、いや乳児も高齢者の方々も私たちがかかわるすべての方々にも口に出せない思いがいっぱいあるかもしれない。

たまにしか会わない移動支援のヘルパーさんの場合は関係性が作り難いと思いますが数回同じ方のガイドをやっていると理解しあえるものと思ってきました。

親切のつもりが

丁寧な介護のつもりが

熱心な保育をしてるつもりが

     自己満足になってないか??

どうしても上からの立場にあると思い込んでいないか???

子供達や利用者に笑顔をつくらせているか????

やりたい!   やれる!   をつみとらないように見守るあたたかさ

そしてなによりも本人に気持ちを出させる会話をお願いしたいと思いました。

2018年3月12日 (月)

破天荒

私の誕生月である二月に昨年12月から入院していた兄が逝った。

もう点滴だけになっていると聞き新幹線で駆け付け、ベッドの兄に「誰かわかる?」と耳元で聞いたら声にならない声で「昭子」と言ってくれた。

まだまだ意識があるのでスポンジで淡路島のオレンジジュースを唇にひたすと、それはそれは美味しそうにすすってくれた。

それから1週間後天国へ旅立った。

「破天荒」という言葉が弔辞でもとびかったが

兄の死とともに「破天荒」の時代が終わった、、、そんな気がする。

若いころ好きだった人が亡くなりお墓の前でバイオリンを弾いていた兄。

75歳を過ぎて船舶の免許をとり、行きたい、行きたいと言っていた屋久島に船を買い唐津の海から一人でのりだし、途中で座礁してしまったのが笑い話のようでもあり、いつまでも少年の心を失わない兄の最後の冒険でもあった。

兄が孫につけた名前は坂本竜馬の竜と勝海舟の海をとって「竜海」

。。。。。。兄の中には本当は野望、野心が内在していたのかもしれない。。。。。

6年生の時に兄がくれた文庫本がパールバックの「大地」。それからいろんな本を貰った。

私が本を好きになり、文学に興味をもったのは兄のおかげである。

こうしていつも何かを書いていようとさせてくれたのも兄のおかげである。

兄のような奔放で破天荒そのものは、時代とともに終わっていくのがどこか寂しい。

安全、安心を防波堤とするきちんとした生き方に変わってきたように思う。

そして親、兄弟がかけていく都度に故郷が段々遠くなる。。。兄を思い出しながら私はもう少しだけ無茶を承知な夢追い人でいたい、、、、、 と合掌。

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