2019年11月 8日 (金)

先生 

私たちの住む神戸市の小学校で教員による教員へのいじめがニュースで流れた時は目を疑い、耳を疑いたくなるようなテレビの映像に驚きました。

非常に人間性の低いこんなレベルの人たちが今後の未来をになう小学生の教師をやっているなんて、、、、、思いたくもない、信じたくもない、と恐ろしい現実を見て憤りの気持ちでいっぱいです。

単に履修科目の単位を修得するだけで教員免許が取得できて地域の試験に合格すれば学校の先生になれる実態がおそろしいです。

社会経験もなく、サラリーマンと違い常にそばに上司がいるわけでもなく、いきなり先生、先生とあがめられる立場、いわば子ども達にとっては強者になれるわけですから大きな違いが生じるのでしょうか。

資格取得後、1年間は人としての適性を見る試用期間や研修として一般社会にでてからの本採用になればいいなあ、、と思います。何より大事なのは人間性です。

勿論、今回の被害者の先生のように子ども達が大好きでこの仕事を愛してこの仕事につかれた素晴らしい先生もたくさんいらっしゃいますし、私のわが子の先生で忘れられないほど素晴らしい先生とも出会いました。

そんな中で先生というイメージをこわしてしまった加害者の先生方は大人にも子どもにも頭をさげてまわらないといけない犯罪者だと思います。

 

加害者の先生方は新聞やテレビにも名前も顔も出ず、どうしてここまで彼らが守られるのか不思議です。何か教育委員会の力が関係してるのでしょうか?

もはや容疑者ではなくハッキリ加害者は判明していますし、はっきりと顔も名前もだすべきだと思います。

数年前自宅に日中、泥棒が入り財布がなくなった時、家の裏口から中学生の女の子が走り去るのを見て警察に来てもらいました。その時警察の方が「学校には言わないでください。教育委員会がうるさいから」と言われこの時も耳を疑いました。「どうしてですか?」と聞きましたが答えはありませんでした。

 

どこかにおかしい力関係が存在するのでしょうか?

加害者の先生方が人としてどれだけ間違っていたかわかってもうためにも厳しく罰して欲しいと願っています。

 

2019年10月11日 (金)

手紙 親愛なる子供たちへ 作詞家不詳(ポルトガル人)

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年老いた私が、ある日、今までの私とちがっていたとしてもどうかそのまま私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても靴紐を結び忘れてもあなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返してもその結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかい結末はいつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのを嫌がる時は思い出して欲しい

あなたを追い回し何度も着替えさせたり様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅たちの前の準備をしている私に祝福の祈りをささげて欲しい

いずれ歯も弱り飲み込むことさえ出来なくなるかもしれない、足も衰えて立ち上がることさえ出来なくなったなら

あなたが弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたようによろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり自分が無力だと思わないで欲しい あなたを抱きしめる力がないのを知るのは辛いことだけど

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい きっとそれだけで私には勇気が湧いてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくることで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で答えたい

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年に一回この詩をつぶやきに書いています。 読んで欲しい人が今年も増えたから。。。。

書いていたら自然と涙が出ます。

 老いていく自分と亡くなった母が被ります。

   誰もが持つ原点だと思います。    いい詩ですね。

2019年9月10日 (火)

虐待

9月1日KOGUMAの明石園、こぐまのお庭、こぐまの森の3事業所で虐待研修を行いました。

ほぼ全員の方が参加してくださり、言ってはいけない言葉など心理的虐待は子供の一生に影響を及ぼすこと、などなど現任の新井愛が講師となり熱気ある3時間でした。

受講した職員の皆さんも心に正しい、保育、療育の在り方が改めて再認識されたことと思います。

 

そうした日、帰ってテレビをつけると4歳の子の虐待死のニュース。。。。。

胸がえぐられるような気持ちです。

4歳の子が夜中2時に外を歩き4回も警察が保護しながらなんで児童相談所が保護しなかったのか、、、、、

「母子関係がうまくいっているようだった」とか「適切な対応だった」とか無責任に話す児相や市の職員には子供の命の尊さが響いてないように思えてなりません。

夜中4歳の子供が外に出されているだけで虐待と判断すべきなのに、、、、、

一人の子供の命も守れないこんな人達が行政にいてもいいものだろうか、、、、

 

怒り心頭になりながらテレビにうつる虐待した母親の交際相手とやらをにらみつけてしまいました。

 

以前「保育園落ちた、日本死ね」というTwitterが波紋をよびましたが「子供死んだ、日本死ね」と叫びたい心境です。

 

2019年8月 8日 (木)

待ってるからね

暑い毎日です。

先日、こぐまプリスクール明石園のW先生のお見送りの声が聞こえてきました。

「また明日ね、明日待ってますよ。待ってるからね、バイバーイ」

はっとしました。「また明日ね、バイバイ」はよく聞きますが「明日待ってますよ」というのは初めて聞いた気がしました。

 

「待ってます」という言葉には、子供自身も自分の存在を大きく認めてもらったような、、、、、

明日への嬉しい期待が、、、、喜びがわくのではないかな、、、、と、とても嬉しくなりました。

お母さまの弾んだ声も聞こえてきてW先生のあったかーいひと声にほっとしたオアシスを感じた夕暮れでした。

2019年7月11日 (木)

生まれてきてよかったんだよ

今朝、テレビを見ていたら、養護施設を出た二十歳の娘さんたちに無償で成人式の着物を着せてあげ、髪を結ってあげ写真を撮ってあげている人をテーマに放映していました。

そういえば、当たり前のように成人式には美しい晴れ着姿の娘さんたちを目にしていましたが、訳あって晴れ着の着れない人たちもいることには全然気がついていませんでした。

テレビには母親の再婚相手に虐待を受け養護施設に入っていたお嬢さんがきれいな着物を着せてもらい可愛い笑顔で喜びをいっぱい表している姿がありました。

着せていたその人も養護施設の出身者で二十歳の時、どなたかに無償で着せてもらったことがあり、その時の喜びをまたどなたかに伝えていこうとされている。。。。その思いが彼女の笑顔から溢れきっていました。

 

「生まれてきてよかったんだよ」というメッセージを与えていきたいという彼女の言葉には自分の経験からくる重みがあり、あたたかさが強く響きました。

朝からうるっときてしまい、素敵な人だなあ、、、と感動して今朝のコーヒーはとても美味しかったです。

 

頻繁に子供へのおそろしいような虐待事件の報道が流れる昨今、

今日のテレビの人のように誰かが「生まれてきてよかったんだよ」というメッセージを傷んだ子供たちの胸に刻み込んでいかねばならない。。。。と痛感しました。

                                                

 

 

2019年6月18日 (火)

心の相続

 先日、五木寛之の本を読んでいたら相続とはお金を残すことばかりではないと

記されていました。

五木寛之は九州筑後の生まれで両親ともに筑後の人なのでコテコテの九州弁を

相続した。

又父親が本をすごく大切にする人で本をまたいだだけでも足を平手うちされて

しかられたのでいまでも本をまたぐことができない。これも父親からの相続で

あると書いてあります。

読んでいて果たして私もこれだけは守ってほしいたぐいのことを3人の子供たち

にうえつけることができただろうか・・・福祉の仕事は残せたけれど何か他に

心の相続ができただろうか・・・と考えてしまいました。

でも親である自分にはわからないものかもしれません。

 

そして私は自分の両親からの心の相続はなんだったろう・・・と振り返りました。

 

思えば両親ともに最後まで日記を書き、母の日記はたまにページいっぱいに詠んだ

句が書いてありました。そういえば意識もなく私も日記を記すことにより一日の

はじまり、終わりに安堵を感じています。

日記に限らず綴ることは両親からの大きな相続であったかもしれません。

 

又、姉が小学一年生の時、参観日に行った母が姉の隣の席の子がお弁当におかず

がなくご飯に醤油をかけただけだったので翌日隣の席の子に母がおかずの一杯

入ったお弁当を作って持って行ったという話は他の人から聞いたことがあり

ます。終戦間もないときだったので時代がそうさせたのかもしれませんがほって

おけない衝動は私の中にも内在していて福祉の仕事につながっていったのかも

しれません。

母からの大きな心の相続が今の仕事の原点を作ってくれたような気がして嬉しく

思いました。

 

もう自分の子供は大きくなってしまったけど孫には何か心の相続ができるかも

しれない・・・

まだまだ間に合う・・・・そんな気持ちで本を閉じました。

                       KOGUMA代表 松本昭子

2019年4月16日 (火)

卒園式

3月、いろんな別れがありました。

こぐまプリスクール明石園では発表会と2歳から保育させて頂いたお子様の卒園式を同時に行いました。一人だけの卒園式にこんなに愛情があふれた卒園式は、日本中さがしてもないだろう、、、と思いました。

お母様の涙、担任の先生の涙、昔の担任の先生の涙、卒園式Fちゃんの涙。

私も卒園生、Fちゃんがこらえながら涙を拭いてる姿をみると胸が痛くなり、涙が溢れました。きっと感性豊かなFちゃんの脳裏はお友達との思い出、先生方との思い出が旋回してたことでしょう。私も一生忘れられないものとなりました。

当法人の中で明石園だけが建物の関係で無認可のまま、補助のない悪戦苦闘の運営ではありますが、たくさんの子供たちに歌を劇を楽器を上手に教えて保護者の前で立派に披露された諸先生方、裏方に回って一生懸命小さいお子さんの面倒をみてくださった諸先生方に心から頭の下がる一日でした。

そして建物の基準も大事!資格も大事!

でもそれより大事なものがある保育を実感した一日でした。

2019年3月20日 (水)

しだれ梅

3月の初めになると、自然と足を運び毎年、南淡路のしだれ梅を見に行きます。
何回見てもどっさりと梅の花を垂らし人々を包み込む清楚で、かつ大らかな梅の木に母体を感じ、
また、垂乳根を感じゆったりした気持ちなります。
 そして岡本かの子が詠んだ詩を想い出します。
 「梅の木に梅の花咲くことわりをまことに知るはたやすからず」
梅の木に梅の花が咲く当たり前のことなのに・・・
この当たり前の深い意味を毎年、模索しながら精一杯咲き誇る、梅の木を見上げています。

2019年2月15日 (金)

明石の町

この度の明石市長のニュースではテレビに釘付けになりました。

1期目の選挙前はこぐまくらぶが運営するB型事業所のお好み焼きの「こいち」にも来てくださり、厨房まで入って挨拶をされていましたし福祉の集まりの時も同席し明石の保育の動向について尋ねたりもしました。

お会いした時の印象はとても腰が低く感じられ、市長にしてはあまりパワーを感じさせない人に見受けられたのですが、ニュースを見てて言葉は別にしてこれだけのパワーや気力があった人なんだ、、とびっくりしました、、、、、そして暴言のひどさに逆のびっくりもありました。

ただ、どなたが録音されたのかわかりませんが、2年も前のを選挙前になって出すという嫌らしい作戦的なものが見えて、人間として情けないものを感じます。

本当に憤ったならば即時に出すべきだと思いますし、今まであたためていて選挙前のこの時期に出すのは単なる足の引っ張りなのか、、、、、と。

明石市に仕事で携わるものとして複雑な気持ちでしたが、今日辞職の会見を見て、最後は明石市役所の職員のことを思い謝罪され、理性に勝った言葉の連続に安心しました。

エリート市長という文字がテレビの画面に何度もでていましたが、本当のエリートは学歴ではなく、度量や心の器の大きさだと思います。残念ながら言葉を選ばずに感情をぶちまけられたのは、どこかにおごりたかぶりが内在していらっしゃったのかも、、、と思ったりもします。

先日、明石園を見学に来られたお母さんが市長が変わって子育て支援が宙ぶらりんになったらどうしましょう、、と仰ってました。

ここまで明石の町を変革し、折角7,500人も人口を増やされ一つの足跡をこの町に大きく残されたのですからそれを誇りとし、選挙前にこぐまに来られた時の初心にかえられることを祈ります。

又次期の市長さんが誰になるのかわかりませんが、「子育てのしやすい町」というキャッチコピーが「待機児童ワースト1の町」になってしまった経緯を考え、「子育てのしやすい町」というキャッチコピーが生きる町にしていただけることを祈ります。

2019年1月15日 (火)

保育士

新しい年がきて、認可外や小規模保育所からは大きな認可園へと移籍が増え、少し淋しい春がくる。

保育士不足と叫んでいる行政にお尋ねしたい。

本当に保育者に必要なものは何なのか.....?

新卒者に市単位でお金を与え、まるで保育士の取り合いのような光景が、私にはこっけいでしかない。

お金が優先で志望する保育士にどれだけ人格が備わっているのだろうか.....とも思う。

又、保育園の器ができても保育士不足で開園できないなんて、順番を待っている保護者にとったら、目の前に人参をぶら下げて待っていなさいと言っているも同然.....。

もう少し制度を緩和して、高卒後すぐに国家試験が受験できるようにしたり、国家試験を半分以上合格してる人に、全科目合格する迄、准保育士など名付け、カウントできるようにはできないものだろうか?その中には適性のある人がたくさんいると思う。

保育、児童発達、障がい者支援、介護、全てにおいて資格以前に適性という一番大きな土台を持った人でないと、仕事ができないことを日々痛感している。子供達や障がい者の方達に常に笑顔で声かけのできない人は私にとって無資格である。

「仕事上、一定のものさしは必要だが その目盛りの意味を

     今年は、私サイド、こぐまサイドで考えていきたい」

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