いなくなったミーコ
いなくなったミーコ
主人の定年をきっかけに私達は淡路島の高台に引っ越した。
ある日庭先にカリカリに痩せた猫が現れた。あまりの痩せ方に私は胸が痛み日々庭先で餌を与えるようになった。毎日どこからか現れるこの猫に「ミーコ」となずけた。
私が車で帰ってくると山の斜面を駆け下りてくる。かれこれミーコとの毎日は7年目を迎えようとするのに急にこの頃見当たらない。庭先においた猫ハウスは時々雨宿りに入ってくれたミーコのご帰還を待っている。 今日も雨。 でも来ない。
どこかで交通事故にでもあっていないか心配で悶々と途方に暮れる。
日常に中にあって当たり前だったことが突然なくなってしまう歯車の狂ったような喪失感に戸惑っている。
そしてミーコの不在からいずれどちらかが先立つであろう自分たち夫婦にも重ねて考えるようになってしまった。
ふっと城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」という本の題名が頭をよぎる。
日々感謝もせずにただ在るだけで無意識のうちに満たされていることがある。
長き不在を知った時初めて「そうか」とぽっかり大きな穴があくのであろう。
それは逃れられない現実としていつかどちらかにやってくる。
ミーコの帰りを待ちつつ、日常の当たり前を一つ一つ拾いながら今だ途方に暮れている。