2017年9月13日 (水)

のぎく学園

前回のつぶやきで書いたのぎく学園からの古いハガキを捨てきれず何となくインターネットを検索したら近藤園長さんの本があることが分かった。

すぐに写真集と詩集を取り寄せ、ページを開き、あったかあい昔の風を感じた。

学校の先生をやめ、自らの家を開放して自分で生徒と起居を共にする。。。。もうこんな人は二度と出てこないだろう、、、、と思いながら本を閉じた。

近藤先生の詩

けむり

けむりが とぶ という

日ぐれの そらを

けむりが とぶ という

この子が

うたうように いうので

そとに でてみたら

くもが とんでいた

はいいろの くもが

ひくい そらを

どんどん とんでいた。

2017年8月22日 (火)

遠い日

古い手紙を整理していると昭和38年ころの切手が貼ってあるのがでてきたり、黄ばんだり、しみがついたりしている便せんに遠い遠い日々が思い出されて夜中まで読みふけってしまった。

私がいくつの時だったろう、、、、、長崎で障がい児のお世話をしていた御夫婦がいらっしゃって、とても運営が大変なことを知り、私は手紙を出した。

それから賀状が二度きたと思う、

「11月8日年賀はがきの売り出しがありますともう一年がすぎたのか、、、と思います。

年賀はがきを書いてお餅をつけば私のお正月はやってきます。

あなた様のお幸せをお祈りいたします。

                                のぎく学園     近藤えい子」

最後の年の賀状である。

1年目のはなくしていたがこの子らにお餅が食べさせれるだろうか。。。と書いてあったのを覚えている。

この後、運営にいきずまり心労が重なり園長先生(御主人)は自ら命を絶たれた、、、ということを新聞で知り驚愕とした日を昨日のように思い出す。

週刊誌にも御夫婦で子供達と手をつなぎお散歩されている後ろ姿の写真があり、鮮明に覚えている。  賀状を握りしめその後ろ姿の写真に泪したのも昨日のようだ。

福祉を心底、心でやる人がいた。

そんな時代だった。

行政からの優しい手もなかった時代だったろうと思う。

昨今の社会福祉法人のお金にまみれた情けない姿を見ながら相反して浮かぶ御夫婦の後ろ姿である。

捨てる手紙、捨てない手紙、、、取捨選択しながらこの黄ばんだはがきを私は握りしめた。

2017年7月10日 (月)

豊かなつながり

雨がしとしと、、、の毎日になりました。

月に一回、KOGUMAのグループホームで主人が「歌う会」をギター片手にやっておりますが、先日久しぶりに参加して以前は人前で歌うのが恥ずかしかったり、抵抗があった方々がいきいきと人前で独唱できていて驚きました。

ジョークも飛び交いながらみんなが楽しんでくれている。ギターを弾けるようになった人もいる。。。。一人カラオケに通って一生懸命練習してきてくれた人もいる。。。。。

歌う会をはじめて1年半。。。。歌詞カードを片手に利用者さんの楽しく歌っておられる姿を見て成長とともに何かほのぼのとしたものを感じます。

ガイドヘルパーさんと二人きりでカラオケに行くのとはまた違った自己表現があるのかもしれません。

なぜだろう?なんだろう?このあたたかさ、、、、、、と考えました。

歌の持つ情緒性、声を出す発散作用、、いろんなことが加味されて人前で歌うことが恥ずかしさから楽しい自己表現にかわり喜び、楽しみとなっているのかなあ、、、と嬉しくなりました。

でもふと気ずいたのはこの人数の構成もありきかなあ、、、、、、と。

児童発達支援の「こぐまの森」で音楽療法の先生がなるべく少人数に分けて一人一人にかかわろうとされてる姿を思い出しました。

多くの人数で何かをやろうとすると個々の姿がぼんやりになってしまい教える側も受ける側も少しずつ焦点がボケていくような気がします。

小さな枠でこそ、一人一人がいきいきできて、お互い見つめられる喜びがあり表現があるのかもしれません。

当法人は小規模、認可外、少ない人数の児童発達支援、放課後デイ、1対1の移動支援と小さな器で頑張ってることが豊かなつながりを作るための大きな宝なんだと思いました。

今でもホームの方々の笑顔がうかんできます!!!!

2017年6月13日 (火)

与える主役

こぐまの児童発達支援センターでは来年、小学一年生になる子に先生方が一生懸命、ひらがなで自分の名前が書けるように教えています。

私も自分がひらがなを覚えたきっかけをふっと思い出しました。

父の会社の取引き先の社長さんがひらがな、裏には絵が描いてあるというか、彫ってある積み木を私が小学校に入る前、お土産にくださり、嬉しくて嬉しくて毎日一人で並べたり、ひっくり返したりしながらいつの間にかひらがなを覚えたのを思い出します。

幼きにして独学(?)でひらがなを覚えました。

その積み木の木の感触、匂い、そして一人で積み木で遊んだ部屋までが今でもよみがえってきます。彫ってあったのでその彫りを触った感触も楽しく触りながら触りながら覚えました。

その社長さんは向井さんと言って背が低く目がまん丸で少し頭がはげていていつもニコニコした方でした。お顔が今でもくっきりと浮かんでくるくらい幼少の時に「喜び」を与えてくれた人はここまで記憶に残るものかと、自分でも驚きます。

又、母が本屋さんから毎月世界文学全集を一巻一巻取り寄せてくれていました。私と姉は二階の窓から「本屋さんがきたー!!」と喜んで走っていきわくわくしたものです。姉と笑いながら、駆けながら、、、、、毎月新しい本を手にしてはページをめくる嬉しい感触もしっかりよみがえってきます。

小さい時に何かを与えてくれた人への感謝は一生忘れられないもので、ここまで記憶に鮮明に残るものだなあ、、、、と今更ながら驚いています。

人とのかかわりが主であるKOGUMAの仕事には皆さんが忘れられない人になるチャンスが山のようにあります。

絵本の読み聞かせ、、、積み木遊び、、又御高齢の方々にも昔の歌や何かよみがえるものを共有したり。。。。どうか、与える主役になってください!!

今回は職員の方々へのメッセージになりましたが保護者の方、利用者の方とこういうことを手を組みながらやっていけたら、、、、と思います。

2017年5月31日 (水)

伝え方

前回のガイドヘルパー講座でラインやメールは嫌いです。とはっきりおっしゃった人がいました。

どうしてですか?と聞いたら、気持ちが伝わらず誤解のもとになるからですとおっしゃいました。

思わず、「私もそう思います。」と答えました。

ライン、メールの普及により、歌を忘れたカナリヤのようになってしまい、声を出して会話することが仕事上も減り、職員間や、利用者さんとのやりとりもメールで済ませるようになった昨今です。

確かに相手が仕事中であっても一方的に連絡ができるので便利と言えば便利です。

でも文字で感情を表すと2倍にも3倍にも激情化してみえたり、行の隙間には冷たい風しか吹いてないように思うこともしばしばです。

そこから誤解や曲解が生じることも多々ありこの便利な手法はやっかいだなあと感じることが増えました。

仕事上の連絡においては文字で残るので確かに事後確認もできて仕事もはかどります。

ただし、そのついでに、気持ちの表現が混ざってしまうと、書いた人の表現力いかんで読んだ相手は不愉快になったりもします。

同じ言葉でもはっきりした声で話していたら、即時に疑問点も聞けてすんなりいったり、笑いながらの会話であれば、目に見えない気持ちというのが通じて誤解も生じない場合があります。

仕事上、携帯は離せませんが私はなるべくならお仕事もプライベートもすべて声を出し、お会いしてお話しし、血の通った会話を心がけようと思っています。

「便利さだけが文化ではありません」

ふっとこの言葉を思い出しました。

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