2019年10月11日 (金)

手紙 親愛なる子供たちへ 作詞家不詳(ポルトガル人)

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年老いた私が、ある日、今までの私とちがっていたとしてもどうかそのまま私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても靴紐を結び忘れてもあなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返してもその結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかい結末はいつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのを嫌がる時は思い出して欲しい

あなたを追い回し何度も着替えさせたり様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅たちの前の準備をしている私に祝福の祈りをささげて欲しい

いずれ歯も弱り飲み込むことさえ出来なくなるかもしれない、足も衰えて立ち上がることさえ出来なくなったなら

あなたが弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたようによろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり自分が無力だと思わないで欲しい あなたを抱きしめる力がないのを知るのは辛いことだけど

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい きっとそれだけで私には勇気が湧いてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくることで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で答えたい

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年に一回この詩をつぶやきに書いています。 読んで欲しい人が今年も増えたから。。。。

書いていたら自然と涙が出ます。

 老いていく自分と亡くなった母が被ります。

   誰もが持つ原点だと思います。    いい詩ですね。

2019年9月10日 (火)

虐待

9月1日KOGUMAの明石園、こぐまのお庭、こぐまの森の3事業所で虐待研修を行いました。

ほぼ全員の方が参加してくださり、言ってはいけない言葉など心理的虐待は子供の一生に影響を及ぼすこと、などなど現任の新井愛が講師となり熱気ある3時間でした。

受講した職員の皆さんも心に正しい、保育、療育の在り方が改めて再認識されたことと思います。

 

そうした日、帰ってテレビをつけると4歳の子の虐待死のニュース。。。。。

胸がえぐられるような気持ちです。

4歳の子が夜中2時に外を歩き4回も警察が保護しながらなんで児童相談所が保護しなかったのか、、、、、

「母子関係がうまくいっているようだった」とか「適切な対応だった」とか無責任に話す児相や市の職員には子供の命の尊さが響いてないように思えてなりません。

夜中4歳の子供が外に出されているだけで虐待と判断すべきなのに、、、、、

一人の子供の命も守れないこんな人達が行政にいてもいいものだろうか、、、、

 

怒り心頭になりながらテレビにうつる虐待した母親の交際相手とやらをにらみつけてしまいました。

 

以前「保育園落ちた、日本死ね」というTwitterが波紋をよびましたが「子供死んだ、日本死ね」と叫びたい心境です。

 

2019年8月 8日 (木)

待ってるからね

暑い毎日です。

先日、こぐまプリスクール明石園のW先生のお見送りの声が聞こえてきました。

「また明日ね、明日待ってますよ。待ってるからね、バイバーイ」

はっとしました。「また明日ね、バイバイ」はよく聞きますが「明日待ってますよ」というのは初めて聞いた気がしました。

 

「待ってます」という言葉には、子供自身も自分の存在を大きく認めてもらったような、、、、、

明日への嬉しい期待が、、、、喜びがわくのではないかな、、、、と、とても嬉しくなりました。

お母さまの弾んだ声も聞こえてきてW先生のあったかーいひと声にほっとしたオアシスを感じた夕暮れでした。

2019年7月11日 (木)

生まれてきてよかったんだよ

今朝、テレビを見ていたら、養護施設を出た二十歳の娘さんたちに無償で成人式の着物を着せてあげ、髪を結ってあげ写真を撮ってあげている人をテーマに放映していました。

そういえば、当たり前のように成人式には美しい晴れ着姿の娘さんたちを目にしていましたが、訳あって晴れ着の着れない人たちもいることには全然気がついていませんでした。

テレビには母親の再婚相手に虐待を受け養護施設に入っていたお嬢さんがきれいな着物を着せてもらい可愛い笑顔で喜びをいっぱい表している姿がありました。

着せていたその人も養護施設の出身者で二十歳の時、どなたかに無償で着せてもらったことがあり、その時の喜びをまたどなたかに伝えていこうとされている。。。。その思いが彼女の笑顔から溢れきっていました。

 

「生まれてきてよかったんだよ」というメッセージを与えていきたいという彼女の言葉には自分の経験からくる重みがあり、あたたかさが強く響きました。

朝からうるっときてしまい、素敵な人だなあ、、、と感動して今朝のコーヒーはとても美味しかったです。

 

頻繁に子供へのおそろしいような虐待事件の報道が流れる昨今、

今日のテレビの人のように誰かが「生まれてきてよかったんだよ」というメッセージを傷んだ子供たちの胸に刻み込んでいかねばならない。。。。と痛感しました。

                                                

 

 

2019年6月18日 (火)

心の相続

 先日、五木寛之の本を読んでいたら相続とはお金を残すことばかりではないと

記されていました。

五木寛之は九州筑後の生まれで両親ともに筑後の人なのでコテコテの九州弁を

相続した。

又父親が本をすごく大切にする人で本をまたいだだけでも足を平手うちされて

しかられたのでいまでも本をまたぐことができない。これも父親からの相続で

あると書いてあります。

読んでいて果たして私もこれだけは守ってほしいたぐいのことを3人の子供たち

にうえつけることができただろうか・・・福祉の仕事は残せたけれど何か他に

心の相続ができただろうか・・・と考えてしまいました。

でも親である自分にはわからないものかもしれません。

 

そして私は自分の両親からの心の相続はなんだったろう・・・と振り返りました。

 

思えば両親ともに最後まで日記を書き、母の日記はたまにページいっぱいに詠んだ

句が書いてありました。そういえば意識もなく私も日記を記すことにより一日の

はじまり、終わりに安堵を感じています。

日記に限らず綴ることは両親からの大きな相続であったかもしれません。

 

又、姉が小学一年生の時、参観日に行った母が姉の隣の席の子がお弁当におかず

がなくご飯に醤油をかけただけだったので翌日隣の席の子に母がおかずの一杯

入ったお弁当を作って持って行ったという話は他の人から聞いたことがあり

ます。終戦間もないときだったので時代がそうさせたのかもしれませんがほって

おけない衝動は私の中にも内在していて福祉の仕事につながっていったのかも

しれません。

母からの大きな心の相続が今の仕事の原点を作ってくれたような気がして嬉しく

思いました。

 

もう自分の子供は大きくなってしまったけど孫には何か心の相続ができるかも

しれない・・・

まだまだ間に合う・・・・そんな気持ちで本を閉じました。

                       KOGUMA代表 松本昭子

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