2019年2月15日 (金)

明石の町

この度の明石市長のニュースではテレビに釘付けになりました。

1期目の選挙前はこぐまくらぶが運営するB型事業所のお好み焼きの「こいち」にも来てくださり、厨房まで入って挨拶をされていましたし福祉の集まりの時も同席し明石の保育の動向について尋ねたりもしました。

お会いした時の印象はとても腰が低く感じられ、市長にしてはあまりパワーを感じさせない人に見受けられたのですが、ニュースを見てて言葉は別にしてこれだけのパワーや気力があった人なんだ、、とびっくりしました、、、、、そして暴言のひどさに逆のびっくりもありました。

ただ、どなたが録音されたのかわかりませんが、2年も前のを選挙前になって出すという嫌らしい作戦的なものが見えて、人間として情けないものを感じます。

本当に憤ったならば即時に出すべきだと思いますし、今まであたためていて選挙前のこの時期に出すのは単なる足の引っ張りなのか、、、、、と。

明石市に仕事で携わるものとして複雑な気持ちでしたが、今日辞職の会見を見て、最後は明石市役所の職員のことを思い謝罪され、理性に勝った言葉の連続に安心しました。

エリート市長という文字がテレビの画面に何度もでていましたが、本当のエリートは学歴ではなく、度量や心の器の大きさだと思います。残念ながら言葉を選ばずに感情をぶちまけられたのは、どこかにおごりたかぶりが内在していらっしゃったのかも、、、と思ったりもします。

先日、明石園を見学に来られたお母さんが市長が変わって子育て支援が宙ぶらりんになったらどうしましょう、、と仰ってました。

ここまで明石の町を変革し、折角7,500人も人口を増やされ一つの足跡をこの町に大きく残されたのですからそれを誇りとし、選挙前にこぐまに来られた時の初心にかえられることを祈ります。

又次期の市長さんが誰になるのかわかりませんが、「子育てのしやすい町」というキャッチコピーが「待機児童ワースト1の町」になってしまった経緯を考え、「子育てのしやすい町」というキャッチコピーが生きる町にしていただけることを祈ります。

2019年1月15日 (火)

保育士

新しい年がきて、認可外や小規模保育所からは大きな認可園へと移籍が増え、少し淋しい春がくる。

保育士不足と叫んでいる行政にお尋ねしたい。

本当に保育者に必要なものは何なのか.....?

新卒者に市単位でお金を与え、まるで保育士の取り合いのような光景が、私にはこっけいでしかない。

お金が優先で志望する保育士にどれだけ人格が備わっているのだろうか.....とも思う。

又、保育園の器ができても保育士不足で開園できないなんて、順番を待っている保護者にとったら、目の前に人参をぶら下げて待っていなさいと言っているも同然.....。

もう少し制度を緩和して、高卒後すぐに国家試験が受験できるようにしたり、国家試験を半分以上合格してる人に、全科目合格する迄、准保育士など名付け、カウントできるようにはできないものだろうか?その中には適性のある人がたくさんいると思う。

保育、児童発達、障がい者支援、介護、全てにおいて資格以前に適性という一番大きな土台を持った人でないと、仕事ができないことを日々痛感している。子供達や障がい者の方達に常に笑顔で声かけのできない人は私にとって無資格である。

「仕事上、一定のものさしは必要だが その目盛りの意味を

     今年は、私サイド、こぐまサイドで考えていきたい」

2018年12月 6日 (木)

12月という1年間の締めくくりの到来の早さを年おうごとに感じている。

そして12月という月は三つ年上の仲の良かった姉が事故で逝ってしまった私にとって一番悲しい月でもある。もうあれから30年が経過した。

こともあろうにその日は九州でもひょうが降る寒さであったらしい。

友人が遠くにいた私に「昭ちゃんが唐津におったらこやんかことにはならんかったとに、、、」といった言葉が今も耳元に残っている。

「昭ちゃん、生きていける?」といった友人もいた。

いつも一緒にいた仲の良さを知っているので思わず出た言葉であろう。。。。。。

4人の子供を抱えて離婚した姉は、その日はお酒を飲んで運転していたための事故であった。

傍にいたらいろんなこと聞いてあげれたのに、、、、と悔やみきれないくらい悔やんだ日を思う。

苦しみや悲しみ、よろこびも笑いも幼い時から共有し、こんなに価値観の一致した人はこの年に至るまで誰一人現れないまま今日を迎えた。

兄の会社の社員さんがけがをして入院した時に「昭子、お見舞いに行こう」と言ってバケツと洗面器を持っていて何をするのかと思うと姉はベッドに寝せたまま、まだ入浴できない彼女の長い髪をバケツ一杯お湯を組んできて洗いはじめた。まだ姉が19歳くらいの時である。

当時は病院に洗髪の設備などなかったので涙を流しながら喜ばれたのを思い出す。

我が家で一番美人で華奢だったにもかかわらず一本筋の通った琴線のような正義感、類のない優しさをもっていて、亡くなった後、主人が「観音様のような人だった。」といったのを覚えている。

私のろ過機のような人で姉にどんな苦しみをはいてもきれいに浄化して笑わせてくれる人だった。

姉の没後、三年間は笑えなかった私がこうして記すことができるようになったのも時間の経過だけに救われて、、、笑える今があるからであろう。

そんな12月、、、駆け足で奔走している自分にそろそろため息がでてきて天真爛漫に姉と笑った日々が懐かしい。。。。。戻りたい。。。。

年をとるということはある意味では前ばかり見ずに、振り返りながら、後戻りすることもありかな、、、、、と亡き姉をしのびながら思う12月である。

2018年11月14日 (水)

こだまでしょうか

先月、つぶやきに書いた詩人金子みすゞの詩が、今回の保育士の国家試験で出たようで、受験された職員の方から報告がありました。

又運動会の時に、金子みすゞと同じ郷里の保護者の方が、「仙崎の出身なんですよ」と声をかけて頂き金子みすゞ繋がりができて、とてもうれしい思いでした。

国家試験ではこれも有名な詩、「こだまでしょうか」が出たようです。

こだまでしょうか           金子みすゞ

「あすぼう」って いうと

「あすぼう」って いう。

「ばか」って いうと

「ばか」って いう。

「もう あすばない」って いうと

「あすばない」って いう。

そうして、あとで

さみしくなって、

「ごめんね」って いうと

「ごめんね」って いう。

こだまでしょうか。

いいえ、だれでも。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

バタバタと多忙な毎日、金子みすゞの詩を読むと、ふっとこの日常が吹き飛ぶ想いでホッと腰を下ろす自分がいます。故郷で遊んでいる小さい頃の自分や、情景が浮かんできて優しい気持ちになれる瞬間があります。ふるさとのふところに入ったような気持ちです。

末尾の「こだまでしょうか」 「いいえ、だれでも」にこの詩のすべてがこめられているように思います。今月から毎月、金子みすゞの詩を園児に読んであげようと思います。

これからの子供たちにパソコンやゲームより大事なものがあることを教えたいです。

2018年10月10日 (水)

金子みみすゞ

この夏の山口県への旅にはたくさんの思い出が残りました。

炎天下、長門下の港町仙崎に童謡詩人、金子みすゞの記念館を探しに行きました。

彼女の名前は知っていましたが、展示されている数々の詩を読みながら、人間の感性の原点を見たようで立ちすくみました。

彼女の人生ははかなくも26歳で自ら幕を閉じてしまいますが、その短い間に512編もの詩を書いています。それも詩人として机に向かってではなく手帳への走り書きだったと思います。

きっと彼女の中から湧き出るものが無限にあり手帳にあふれ出たのでしょう。。。。

子供の気持ちのまま、、、、飾らずに、、、、優しく美しい、、、、。

     キラキラ輝く優しい言葉に見せられた夏でした。

”わたしと ことりと すずと

                     金子 みすゞ

わたしが りょうてを ひろげても

おそらはちっとも とべないが

とべることりは わたしのように じべたをはやく はしれない。

わたしが からだを ゆすっても

きれいなおとはでないけど

あの なる すずは わたしのように たくさんなうたは しらないよ。

すずと ことりと それから わたし、

みんなちがって みんな いい。”

«吉田松陰