2022年3月28日 (月)

つぶやき

昭和59年に小さい保育所を立ち上げ何年が経ったでしょうか、、、。。

最初は自分の子供2人とみっちゃんという1歳の女の子の3人でのスタートでした。

園児募集のチラシは我が子が寝てからぷりんとごっこというおもちゃのようなガリ版のようなもので下手な絵をかき作ったものです。

そして自分で手配りしながらこぐまは始まりました。

初めてお給料を袋に入れる時、月謝袋に明細を書いて入れる時、何かお金だけの書類というのが寂しくて「つぶやき」をいれ、保護者の方や職員の方に思いを伝えてきました。

 

園の外に貼っていたつぶやきを見て面接に来てくださった職員の方もいらっしゃったり、保護者の方、職員の方に感想を頂いたり、お電話頂いたり楽しい思い出もたくさんあります。こうしてどこかで共感して頂いた時は日々会えなくても心の近似値を感じとても嬉しく思いました。

 

ただ、年とともにだんだんと自分の回顧録みたいになってきてしまい、つぶやきがため息になってきたようでそろそろここで筆をおきたいと思います。

今迄読んで頂いた皆様、本当に有難うございました。

 

最後に前にも載せた文章ですが、もう一度私の好きな文章を記して終わります。書いた人の名前は忘れましたが海外の人だったように思います。

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「子供は自分のことを一番わかってくれる人のために伸びようとするのです。

子供は自分がやったことを一番喜んでくれる人にために伸びようとするのです。

そして再び、その人の笑顔を見たくて頑張るものなのです。」

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何回読んでも心新たになります。

 

そしてウクライナの少女が地下の避難室で歌うあの美しい歌声が世界中に響き渡り世界中に平和な日が一日も早く来ることを祈ってやみません。

2022年3月 2日 (水)

BEARS BAND

定年退職後に、昔活躍したギターを片手に結成されたこぐまのベアーズバンドが、この度神戸市

社会福祉協議会から感謝状を授与されました。歌を聴いて今迄立てなかった車椅子の方が突然立

ちあがったり、「故郷」の歌に多くの方が涙されたり、そしてバンドが帰った後はうつ病の方の容

態が良くなったと感謝されたり、、、沢山の感動を頂きながら活躍されています。

歌の持つ威力にいろんなドラマを感じます。皆さん!いつでもお声かけ下さい。

2016年4月 結成 神戸市垂水区ボランティアセンター所属

2022年1月 神戸市社会福祉協議会よりボランティア活動の感謝状拝受

活動内容  :高齢者・障がい者施設でギターによる合唱コンサート等

訪問施設数 :約30カ所 延べ約280回訪問

レパートリー:演歌、ナツメロ、童謡・唱歌、フォークソング、ポップス等、約300

後援  NPO法人 こぐまくらぶ  NPO法人 KOGUMA  NPO法人 くまのこ

    一般社団法人 こぐまの丘    

                              

2022年1月28日 (金)

最後に伝えたかったこと

「ビンタ」

みんながコンビニで買うから

弁当を持っていくのが、カッコ悪かったんです。

「いらんねん」と軽く払ったつもりが

母が作った弁当を床にひっくり返してしまった。

黙って手で寄せ集めていた

母の背中を思い出すたび

自分の手を母の手と思って

思いっきり、ビンタしたくなります。

ほんま、ごめんな、おかん。

ほんま、ごめん。

 

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49歳で亡くなったお母さんへの17歳の息子さんの詩です。

小冊子に載っていて読んでるうちに思わず眼がしらがあつくなりました。

 

親だから甘えた我がままな行動をとってしまい、後悔することって誰にもあることだと思います。でも照れくさくて素直に謝れないのが、また親子かな、、、とも思います。

きっとこの子のお母さんは天国でこの詩を読んで微笑んでいることでしょう。。。。

2022年1月19日 (水)

昔のまんま

昨日、田舎の同級生からハガキがきました。

彼女の愛猫の写真が刷り込んであり、「寒いしオミクロン株も大変だけど毎日生きているだけで幸せです。」という一言がありました。

幸せという文字に彼女の優しい笑顔が浮かびました。

そう、、、、肝心なことを忘れていた。。。と実感し大事なことを教えられた気がしました。。

そして素直に「生きているだけで幸せです。」と言える彼女の心に頭を下げながら何回も読みなおしました。

 

メールやラインでの毎日に慣れてしまっていたのでポストにあった1枚のハガキ、しっかりした達筆の文字は何よりも新鮮な宝物です。

 

小学6年生の時、毎日一緒に帰りながら「あの人、岸田劉生の麗子像に似とらすねえ」とあたりかまわず指さして「ほんなごてー!そっくり!」と失礼なことも忘れて分からないように笑ったり、わざと危ない裏道から帰ってすべったり思い出す日々にはいつもあったかい陽があたっていたように思います。

 

先日、郷里に帰った時、何年かぶりに会い「金子みすゞの家に行ったよ」というと彼女も「うちも行った。中原中也の記念館も近くにあったよ」

いくつになっても好きなものが一緒。思うものが一緒で安心しました。

そして今も詩を書いている彼女には昔のまんまの感性が溢れていました。

 

昔のまんまっていいですね。

私も引き出しから好きなハガキ引っ張り出して

「生きているだけで幸せですねえ」って書くことにします。

 

あったかーい陽だまりの下で。。。。。。

2021年12月15日 (水)

遠い日

病室に入っていくと兄は顔をみるなり手を差し出してきました。細くなった手をさすりながらおかゆを口に差し込んであげました。

笑顔もあり安堵したのも束の間、寒い日の朝、兄は帰らぬ人となってしまいました。

進む時も大胆、転ぶ時も大胆で大声でよく笑う男らしい兄でした。

事業を始めた時、壁に貼った売り上げのグラフを見上げ、私に「昭子、ここまできたぞ!」とのびていくグラフの先を嬉しそうに指さしたのを昨日のように思い出します。

若き日、盆綱ひきという行事があって大きい綱を弁天島まで海の中を泳ぎながら引いて行ったたくましい兄達。。。

      遠い遠い日。。。。。。。。

故郷の海を見ているとよせては返す波のように遠い遠い日が繰り返しよみがえってきます。

寄せてはかえす波が人生そのもののようにも思えてきます。

通夜の日のお坊さんの一言が脳裏に残りました。「人生は長さではありません。いかに生きたか、、、、です」

兄は思い切り燃え尽きた人生だったと思いながら帰路につきました。

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